仕事と作業の違いは「意思」があるかどうか、ということを深夜の雑談で再確認した話。
ホットコーヒーのお替わりを15時で止める。
この決定に対して、賛否両論が巻き起こった。
「いやいや、それはお店の都合じゃない。14:55に来店してくださったお客様に申し訳ないと思う」
「ああ、それはいいですね!ホットコーヒーのロスが減らせると思います」
などなど。
アイドルタイムにデザートセット850円(好きなデザートと珈琲か紅茶)を始めます。
この提案に対して、それぞれに解釈の仕方があった。
「お客様にお勧めしやすくなりました!カフェタイムのニーズも掘り起こせそうですね」
「15時前に来店してくださったお客様はアラカルトの価格になってしまうので申し訳ない」
などなど。
僕はそういった一つ一つの「問題」に対して。
「正解」を求められます。
店長なので。
でも、ぶっちゃけ。
「正解」が分かりません。笑
というか、「僕が決めたことをみんなが守る」というのが、あまり好きになれない。
なんでしょうね。
その人から「意思」を奪ってしまう気がする。
一昨日。
クローズ後にあっきーと事務所でおしゃべりしていたときに。
(彼女はときどき深刻な顔で「相談したい」と言いながら深夜に僕を拘束します。笑)
あっきー:「私、仕事が全然思うようにいかなくて」
店長:「うーん、そもそも仕事が”思うようにできる”ってどういうことかな」
あっきー:「私、効率も悪くて、皆に迷惑ばかりかけていて」
店長:「うーん、誰でも苦手なことがあるしね、僕もオーダーよく間違えるし」
あっきー:「私、どうしたらいいですか」
店長:「うーん、それは僕もわからない」
(省略)
という不毛な会話を1時間ほど続けたのですが。
3時間くらいでやっと、一つの結論に行き着きました。
店長:「あ、仕事の面白さって、自分の意思があるかどうかじゃない?いままで誰にも頼まれてないのに、してしまったこととかない?僕は小学校とのときに調理時実習で、プリンをつくれって言われたのに、ゴマ団子を作ったことがあるよ。失敗したけど」
あっきー:「前職で、商品(カーテンとか)の納品日をわざと自分のの休日にしてたんです。本来は工場からお客様に直接納品するオペレーションなんですけど。今までやり取りしていたお客様が商品を受け取ったときの喜ぶ顔が見たかったので。あと請求書には手書きの手紙を添えたりとか」
※彼女の前職はインテリアの受注販売です
アホですよね。笑
誰にも頼まれていないのに。
むしろ、上司に見つかったら怒られるのに。
でも、そんなことを3年間続けていたら。
インテリアを納品したお客様から、プライベートで自宅に招待されたり。
そういうこともあって、愉しかったんだって、笑ってました。
あっきーらしい。
効率は悪いし。
自意識が過剰だし。
自分の休暇もなくなる。
だけど、僕は好きです。この話。
なぜなら「仕事を通じて誰かと共感したい」という彼女の意志がある。
長くなりましたが。
僕らのお店の「正解」は「個人の意思」であって欲しいんです。
僕は店長なので。
「価値」をつくるために、皆で守るべき最低限のルールは決めます。
例えば。
珈琲のロスが多いと原価が重たくなってしまうので、人件費などが支払えなくなってしまうのは嫌だから、15時で一度止めることにする。
アイドルタイムの稼働率が低いので、新規の顧客を掘り起こすためにデザートのセットを始める。
その上で。一人ひとりはそのルールを理解した上で、「意思」を発揮してルールを破ってくれたらとても嬉しい。
例えば。
15時過ぎたけどポットにまだ珈琲が少し残っているから、「本当はダメなんですけど」なんていいながらサービスしちゃうとか。
14時にカフェ利用に来店してくださったお客様に、今日は席も空いているから、ゆっくりしてもらおうと850円のセットを提案しちゃうとか。
そのほうがいいです。
こんなこと書いたら怒る人いるかもしれないけど。
でも、それがほんとうの意味で「仕事」だと思うので。
冒頭の写真は恵比寿の写真美術館で展示されていたユージン・スミスの作品です。所属していた大衆雑誌「LIFE」(アメリカ)の求める条件を満たしつつも、自分の表現を守り続けた(最終的には対立して雑誌との関係は断ち切りますが)偉大な写真家。
僕はこんな仕事に憧れます。
:)