その仕事は"自分事"になっているかどうか、その一線についての話。

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昨晩の話。

60代後半くらいの女性がラザニアを注文しました。ところが、想像していたものよりも「固い」とのことで、満足して頂けなかったようで。野菜の歯ごたえをウリにしていたのだけど、それが事前には伝わってなかったことで、もっと別物を期待させてしまったらしく。

ここまでが、ユウから僕への報告の内容。

このさきが、そこに対するユウたちの行動。

問題は牛蒡と蓮根が入ってることが事前に伝えられなかったことだから、ラザニアの内容も黒板に書くことにしようと。(この解決策自体はもしかしたら岩田さんとかと相談して決めたのかな?)

それで営業終了後にユウは10枚近くある黒板の文字を全部消し始めました。そして、全て一から書き始めて。僕はその様子をFL入力しながら横目で見てたのだけど、まさか全部描き直すとは思わなかったので、ちょっと驚いたんです。

しかも。

それを。同じく仕事終わりのマイが手伝い始めたときには、え、この子たち凄いなって思いました。

えらく自然な感じで。お喋りしながら書くという感じで手伝い始めたけど。二人とも明日は朝から授業があるというし。本当は早く帰りたいはずなのに、黙々と(厳密にはお喋りしながら)書いています。

このことを、さっき。本社でクリエイティブチームとの定例ミーティングのときに共有しました。「それ凄くいい話じゃない?」ということで、話が盛り上がり。

そして、我々は大事なことに気がつきました。

昨晩のできごとこそ、「仕事」ということの本質なんじゃないかということです。

「仕事」が本当に楽しいのは、「自分事」になったときだと思います。(僕の個人的な考え方なので偏ってる前提で聞いて欲しいのですが)

「自分事」というのは。

誰に言われるわけでもなく、気がついたらそのことを考えてしまったり、そのことを辞められなくなってしまったり、そんな感じのこと。

誰にでも経験ないですかね。子供の頃、放課後にリフティングの練習をしたり、外国のコインを一生懸命に集めたりとかとか。

ワークライフバランスという考え方とは逆行してしまうかもですが。仕事も生活も分ける必要がなくなっちゃう。どっちも自分なこと。

ちなみに、僕たちの会社の社長は、それを「公私根同(こうしこんどう)」なんて、冗談みたいに言うのですが。

ぼくはこの言葉がとっても好きです。

つまり、「自分事」になってしまったら、仕事も生活も、自分がやりたいことをしているという点で、同じワタシという名前の"根っこ"から生まれてくるものなので。

一つの根から育った幹や枝や実は、形は違うけど、同じ一本の樹。それはワークライフバランスではなくて、ワークとライフという形で、ワタシという樹に実るわけです。

僕は仕事で面白いこと思いついてしまったら、それをわざわざ遠距離中の恋人にテレビ電話して説明してみて感想を求めたりします。逆に、恋人との旅先で感動したことがあったら、それを自分の仕事でも真似できないかって考えてしまいます。

つまり、仕事も生活も分けることができない。

こういう働き方はもしかしたら一般的ではないかもしれません。それでも、こういう人生もいいな、自分にもそういう片鱗があるな、仕事ってもしかしたらお金を稼ぐことだけではないな、って。

アルバイトを通じて気がつけたら、すごくいいと思うんです。

昨日、ユウたちが黒板を書き直してたことはまさに自分事。あれをみて、この子たちはどこに行ったって、自分事を見つけられる、と思ったんです。

そういう子たちがお店にいることが、僕は無性に嬉しい。そして誇らしいんです。

改めて、ありがとう。

そして、これからも宜しくお願いします。

ちなみに、僕にも、やりたくない仕事がたくさんあります。そういうときは、その中に一つでもいいから、自分がやりたくなる理由を探してますら。原価とか人件費とか、ひたすら数字を入力する仕事は嫌いですが、その数字の背景にある物語を想像するのは好きです。数字の入力を1秒でも早くできるように工夫することもゲームみたいで好きです。

そんな感じで毎日楽しく働かせてもらってるわけです。

※写真は先月ロンドンで撮影したデリカテッセンの料理のポップ。原材料とグルテンフリー、ベジタリアンの表記。分かりやすいし、真似したいアイディア。